Mother Nature タミルの風

アルナーチャラの導きによって南インド タミルナードゥ州 ティルバンナマライで結婚、子育て。南インドでのリアルな生活 子育て yogaのこと アーユルヴェーダのこと かわいいもの 美味しいもの などなど。

幸せ?バスタイム

 

赤ちゃんの名前はMeera(ミラ)

これは前々から旦那さんと一緒に決めていた名前だった。日本でもインドでも呼ばれやすい名前がいいね。そしてmeeraはサンスクリット語でsea/oceanという意味。単純だけれど、海のように自由に無限に生きて欲しい。

クリシュナの奥さんではない!!女性もmeeraだ!奥様はRhada・・・

お腹にいる時からmeera meeraと呼んでいた。そして病院でもみんなにMeera〜って呼んでもらったね。インドではRの発音が5つあるらしい・・・なので日本人のわたしのMeeraとインド人のMeeraの発音は微妙に違うみたいだ。しかも日本人はLとRの発音が苦手ではないか!

 余談はさておきそんなmeeraのバスタイム・・・

アンマ(お母さん)が入れてくれます。アンマはわざわざ薪?で火をおこし、その火で湧かしたお湯をせっせと運んできてくれるのです。それはけっこうな重さで、わたしが手伝おうとすると「重いからダメ!!」って怒られる。アンマはmeeraが大好き。

その愛情たっぷりのお湯はほんのり木の香りがしていい匂い。そして心なしかまろやかなお湯なのです。幸せmeeraさん♡

 

と言いたいところですが、このバスタイムはなかり「拷問time」だとわたしは思うのです。なぜかって・・・アンマがものすごいダイナミックなの。愛情たっぷりのお湯の温度はわたしが手で触ってのも熱!!!という程の温度(多分46.7度)はあると思う。それを頭からバッサンバッサンまさに滝修行のようにかけられます・・・泣

meeraは泣くどころか石のようになってしまう。おぉぉぉ、可哀想なmeera 泣くことを通りこしてその時間を必死に耐えている(ように見える)そしてものすごい勢いで石けんをグリグリ頭と身体に押し付けられ全身を洗われる。meeraはアンマの足(すねあたり)にゴロンと寝かされている状態・・・

日本でいう  温かいお湯をゆっくりかけて優しく洗いましょう〜 なんていう人が見たら本当にぶっ飛んでしまいそうである。わたしはあまり神経質ではないけれどこのバスタイムは嫌い。meeraが可哀想に見えて仕方がない。それにこんなに暑いお湯。ただでさえこんなに呼吸困難になるほど暑いのに・・・「アンマこれは熱すぎる!」って言って水を足したら、NO~!!!と一蹴された。アンマはすでに孫を10人持つ子育てのプロ。もちろん絶大な自信を持っているので何を言ってもダメ(みたいである)

そしてココナッツオイルで頭を洗われ、なんと!口の中にもココナッツオイルを入れグリグリと洗っている・・・汗

ひゃー新生児の口の中にココナッツオイルなんて入れていいの?いいの??おぉぉぉ可哀想なmeera。そりゃアーユルヴェーダではセサミオイルを口に含み10分くらいうがいのように放置するっていうディナチャリアの1つ、ガンドゥーシャというものがあるけれど!そしてそれは結構気持ちが良くって色々な効果があるけれど・・・meeraはまだこんなに小さいのに。

そして極めつけはアンマがmeeraの鼻の中に息を思いっきり「ふーーーーっ!!!」って吹きかける。吹きかけるなんてものではない。何だか鼻水を出しているようだ・・・汗 優しく綿棒とかで取り除く方法がわたしはいいのだけれど。

meeraはぎゃんぎゃん泣いてしまう。アンマはタミル語で何かを言っている。。。なにやらうたっているご様子♪

この瞬間本当に冗談ではなくアンマが「千と千尋の物語の湯老婆」に見えてしまうのである。しかも毎回怖い・・・

わたしは、日本にいる時あまり日本の子育て情報を入れずにきた。なぜかってここはインドだから。色んな知識があるほうが視野を狭くするということもあるから。そして日本の子育てはとてつもなく丁寧だと思うから。

妊娠中に日本とフランスと(あと1国忘れてしまったが)3カ国で出産したママの本を読んだ。フランスでのバスタイムも頭からバサーーとお湯をかけられていたが、インドアンマ方式はそんな優しいものではないのだ。何度か旦那さんにも言ってみたが、なんだかんだお母さんには何も言えない様子の旦那・・・

100歩譲ってもわたしはココナッツオイルを口に入れるのだけは何だか反対である。

 そして新生児は毎日お風呂に入る必要があるのだろうか。。。

わたしはmeeraが産まれる前にオーガニックラベンダーオイルで身体を拭いてあげようと思っていた。そしてバスタイムは2日に1度でいいかなぁ・・・なんて思っていた。

そんなバスタイムの後はミラはぐったりしている様子。でも確かにバスタイムの後はぐっすりと寝てくれる。アンマの中で色々なルールがあるらしく、夜泣き対策の為「夕方にお風呂に入れて欲しい」と旦那さんが言ってみたが、「1ヶ月は朝じゃないとだめよ」っと言われたようだ。本当に色々な決まり事があるのだ、ここには・・・

国が違えば全くそれが逆転することもあるのに。ここはインドだから仕方がないかっと半分諦めよう。

そんなわたしの悲痛の願いが通じたのか、ここ数日のお湯の温度は42、3度くらいに下がったと思う!笑

よかったね、Meeraさん

 

ただいま ティルバンナマライ

 

やっとvelloreからここTirvannamalaiに帰って来た時も大袈裟ではなく心の底からホッとした。アンマ(お母さん)やお姉さんや甥っ子たちや友達が待っていてくれた。お家に入る前にお母さんが小さなプージャ(お祈り)をしてくれた。そして家の中へ。たった6日しか経っていないのに何だかとても懐かしかった。陣痛を感じたその日、全てはその日のままだった。

「やっと帰ってこれたね。今日は静かに眠れるよ」

そして初めての3人での夜。とても静かな夜でした。

眠る時、緊張していた身体が1呼吸1呼吸ごとにマットに沈んでいくそんな感じを久しぶりに味わった。そしてゆっくりと「ヨガ二ドラ」をしてみた。指先1本1本に意識を向けて解放していくその時間は何とも安らぎの時間だった。久しぶりに身体を感じたその時間。

 

身体はまだまだ痛みはあるもののその日以降精神的にとても楽になった。初日もお母さんが作ってくれたご飯を食べた。そうこの日から毎日毎日お母さんがご飯を作って運んでくれている。1日3食。本当に有り難い。1日3食のご飯を作ってくれるというのは簡単なことではなくて本当に骨の折れる作業だと思う。1日1食だって大変なのに・・・でもお母さんは毎日毎日してくれる。貧血気味のわたしによい食べ物を!そしてミルクが出る様にとさまざまな食材で毎食!!これは本当に感謝しても仕切れない。どこの国に行っても文化が違えど環境が違えどやっぱりアンマ(お母さん)に敵うものはないなって思う。アンマ本当にありがとう。

 

話は逸れるが南インドの本格的な夏をわたしは少々なめていました。

わたしはめっぽう「暑さに強い」のです。寒さには弱いけれど・・・そうまさにvata体質。時々過度にネガティブになり穴に落ちてしまうところもまさに。

でもここの暑さはねなんだか種類が違うのです。熱風の中にいるような感じなのですね。本当に呼吸が苦しい。

実は4月1日にAC付きのお家へ引っ越しをする予定だったのです。その予定が赤ちゃんがやって来たので、私たちはここにあと1ヶ月住むことに。それはよかったのですが、日に日に暑くなる様子でちょっとビックリ。これは体力も奪われる。早く引っ越ししたい早く早く!日中にシャワーを浴び、夕方にもシャワーを浴びる日々・・・そしてぐったりする。

これからますます暑さが増す南インド。しばらくは省エネで過ごしたい

 

ひとまずやっとお家に帰って来れてよかった

 

 

インドで出産 赤ちゃんがやってきた4

 

4日目となった。わたしの経験通り4日からほんの少しだけ楽になった。

腰を曲げながら1人でお手洗いにも行けるようになったし、シャワールームで身体を拭くこともできるようになった。でもまだまだ痛かった。

看護学生は親切でアンマたちも優しい。でもわたしのここでのストレスは変わらなかった。ナースステーションでは夜中12時ころまで大声で話し声が聞こえて眠れなかったし、何時になっても電気は消えることはなく蛍光灯がこうこうとしていた。

赤ちゃんも本当にストレスだっただろうと思う。薄暗い温かいお腹の中から急にこんなに明るくてうるさい環境に耐えなければならないなんて・・・

本当に可哀想だった。

 

それに加え、母乳問題が発生した。

母乳が出ない・・・母乳って出ないんだ。これにも本当に困ってしまった。

ここCMCは「6ヶ月間は必ず母乳で」という方針の為ミルクはもらえなかった。でも出ないのはどうしたらいいのだろうか。シスターに言うも、口を揃えて「良く食べること!よく水分を摂ること!食べて飲めばミルクは必ずでるわよ」

そんな単純なものなのだろうか・・・

そもそもじゃあ栄養を考えた食事提供してよっと心底思った。何がよく食べることだよ・・・水1杯もくれないくせに。

赤ちゃんが泣く度にお姉さんが「お腹空いたね〜お腹空いたね〜」っとタミル語で言っていた。これもとてもプレッシャーになった。

 

4日目ともなると少しずつここも鬼シスターだけではないということがわかってきた。

優しいシスターも存在したのだ!夜中に泣き止まない赤ちゃんを連れて、どう頑張ってもミルクが出ない。助けて〜とナースステーションに行った。シスターはミルクはドクターの許可がないと出せないと言った。でもやつれるわたしを見かねて、赤ちゃんにミルクをくれた。「ドクターには絶対に内緒だよ」と・・・赤ちゃんは30mlのミルクをグビグビと飲みすぐに寝てしまった。

あぁぁやっぱりお腹が空いていたんだね。ごめんね・・・

翌日ドクターの許可で1日3回ミルク配布があった。あ〜〜本当によかった。小さく産まれたのに体重が産まれた日よりさらに減ってしまっていたから。

わたしは1日も早く家に帰りたかった。そう1日も早く!もうここにいたくはないよ。静かなお家に早く帰りたい。旦那さんもお姉さんもほとほと疲れているようだった。

お家に帰ればお母さんがホームメイドのご飯を作ってくれる。好きなだけフルーツを食べココナッツウォーターを飲み、牛乳だって飲める。当たり前のことなのに・・・

わたしは何だか涙が出てしまった。色々な感情が入り交じって、悲しくて寂しくて。

隣の彼女はアンマ(お母さん)に髪をとかしてもらい結ってもらっていた。そんな姿を見るだけで涙がでた。わたしの母は4年前に亡くなってしまった。お母さんに会いたいよぁっと心底思った。以前入院した時は身体を拭いてもらい、髪を結ってもらい、着替えを手伝ってもらって・・・そんな母はもういないんだ。

そして今わたしが母になったんだ。

そうこんな風に色んな感情が次々にやって来て処理するのが大変だった。

 

5日目に退院したいと言ってみた。明日なら大丈夫よっとドクター

まだまだ痛みがあって普通に生活できるのか不安だったが、ここにいるよりはメンタル的に断然よいだろうと思ったし、もう旦那さんもお姉さんも解放したかった。みんなが疲れていた。抜糸は2日後に来て下さいと言われた。

6日目 朝から帰る支度をして手続きをしてタクシーを呼んでその時を待った。

そしてやっと解放の日、病棟入り口のチェックマンともお別れ。鬼シスターや優しいアンマたちともお別れ。最後には喧嘩をした鬼シスターとも少し仲良くなっていた。

相変わらずきついが少し慣れた。最後に彼女は「3年後にまたここで待ってるからね」って言った。そうインドでは次の赤ちゃんを作るまで3年待ってから!というのがあるらしい・・・冗談でしょ!もう2度と来ないわ!!って笑って答えた。

そう言えばドクターにもファミリープランについて聞かれた。そして手術をする際には是非ここCMCで!と。わたしは2人目は考えていないし、避妊しますので大丈夫ですと答えたが、インドでは避妊はポピュラーではないらしい。

そして手術とはもう赤ちゃんができないようにする手術。1970年代頃から「子どもは2人!」というファミリープランが大々的に掲げられ、国を揚げて女性に手術を勧めた。もちろん手術費用は無料でそれに加え手術を受けると色々な「特典」がついて来たらしい。現在どうなっているのかはわたしには分からない。

 

6日ぶりに外に出た。

velloreは南インドでも最も熱い地域らしい。そしてマンモス病院は街の中心にあった。

インドの熱気と人ごみと喧騒と・・・なんだか騒がしい街だなぁっと思った。それでも外の空気はやっぱり気持ちがよかった。6日前に車いすでここの「Lobar room」とかかれたエレベーターが来るのを待ったなぁっと思い出すだけで身の毛がよじる思いだった。恐ろしい。でももう過去のことだ。そう言えばこの入院でわたしの履いて来たサンダルが紛失した(サンダルと言ってもただのビーチサンダルだったが)けっこうお気に入りだったのに。でもタミル地域では、チャップル(サンダル)がなくなることは過去の嫌な出来事を一緒に連れ去ってくれるという言い伝えがあるらしい。それを聞いて、チャップルはなくなってしまったけれど、この苦い出来事も一緒になくなったんだなぁっと思った。そしてこれから赤ちゃんとの新しい生活が待っているのだ。

 

さあティルバンナマライに帰ろう。

 

shanti OM

 

インドで出産 赤ちゃんがやってきた3

 

翌日は激しい痛みで目が覚める。痛い痛い痛い。そう、わたしはこうような「痛み」にめっぽう弱い。さてわたしの身体はどうなってしまっているのか。

全然誇張ではないのだが、ここのシスター(看護師)さんは鬼のように優しくない。全くホスピタリティのかけらもない。

翌日すぐに尿道カテーテルが外されたので、自力でお手洗いに行かなくてはならなかった。まずはベッドから起き上がらなくてはいけないのだが、なんと、起き上がれないほど痛い・・・なんだこれは。今まで体験したことのないような痛みが下腹部にやってくる。これでベッドから出てお手洗いに行けというのか。冗談でしょ。

でもそんな冗談はあるはずもなく、シスターは「何してるの?早くしなさいよ」と・・・その言い方。鬼だ。もちろん起き上がる手助けなんてしてくれない。

わたしはベッドの角度を変えて欲しいと頼んだ。そうしたら20度くらいでストップ。これ以上はダメだと言い放った。なんでそんな意地悪を言うのだろうとわたしは心底悲しく悔しくなってしまった。

そして彼女は「隣の人はあなたと同じ時間に手術してもう起きあがってトイレに行ったわよ」

わたしは切れた!この一言で何だか怒りがこみ上げてきてしまったのだ。

「隣の彼女のことは知らない。でもみんなそれぞれ身体も違うし状況も違う。なんでそんな言い方ができの?あなたはわたしではないからわたしの今の痛みはわからないでしょう?」

旦那さんのお姉さんが隣にいたし、できればこんな喧嘩みたいなことはしたくなかったのだが、彼女はあまりに残酷だった。

言い方1つなのになぁって。患者さんって身体の痛みだけじゃなくて心がとても不安なんだよ。「大丈夫、深呼吸してゆっくり頑張りましょう」って一言言ってもらうだけでどれだけ心が楽になるか。そして心と身体は繋がっているんだよ。

とにかく悔しいので、お姉さんに助けてもらってどうにか起き上がる。でも呼吸が苦しい。上手く呼吸が出来ない。なんでだろう。どうにかこうにか足を床に付け、立ち上がった途端今度は全身から血の気が引いていった。わたしはもともと結構な貧血なのだ。今にもぶっ倒れそうなのを必死に気力で耐えて、耐えて何とか立ち上がりゆっくりお手洗いに向った。

その時は必死で気が付かなかったが、部屋は6人部屋だった。

プライベートルームはどうなったのだ・・・

そしてトイレがやけに遠かった。地の果てのような遠さだった・・・

まさか自分が帝王切開になるだなんて思ってもみなかったので、帝王切開術後の知識はまったくもってゼロだった。

もう少し情報があったら対処が出来たかもしれないが、とにかくこの痛みには驚き、もしやインドで手術なんてしちゃったからこんなに痛いのかもしれない。これは何か間違えでも起きてしまっているんじゃないか・・・そんなことまで考えていた。

 

「男性可」の情報は嘘でたとえ家族であっても、旦那さんだろうが息子だろうが男は一切入れなかった。夕方4時から5時半までが唯一それが解放される時間だった。

ここCMCはとにかく厳しい刑務所のような病院だった。わたしは入院中刑務所にいるような気分だった。病棟入口には警備員が恐ろしい顔つきで常に立っている。

もちろん面会時間以外は特別な許可書がないと中には入れない。そして患者も外には出られない。100m程の廊下だけが唯一許されたスペースだった。

日本の病院って天国だなぁ。身体が許せば自由に外にでて、中庭かなにかでお茶を飲むことだってできる。信じられない世界だ。日本って素晴らしい。インドの病院って地獄だって心底思っいた。

多分もっとこじんまりした病院だったらこんなことはないのかもしれない。

そして何より「食事が出ない」のだ!!!こんなことってあるの?お水の1杯さえもらえないのだ!!!

じゃあご飯はどうするのかというと、家族が毎回3食持って来る・・・こんなことってあるのだろうか。あるのです。

病院(CMC)から家までは車で2時間。旦那さんは病院の近くに宿を取ってそこに寝泊まりして朝、昼、夜を3食 そしてフルーツやお水、わたしが食べたいものをせっせと運んでくれた。でもやっぱり毎回毎回買って来たご飯はけっこう辛かった。食欲も出なかった・・・

ご飯を運んで来るその時間はカードを見せると中に入れてもらえるらしい。でも見回りがすぐにやってきて追い出される。こんなことの繰り返しだった。

赤ちゃんの世話とわたしの世話はお姉さんが寝泊まりしてしてくれた 。本当に感謝だった。家族がいない人はどうなるのだろう・・・

お姉さんには本当に感謝だったが、旦那さんがいないことや鬼シスター(看護師)そしてこの環境にわたしのストレスはマックス。

そして「何で個室じゃないんだ!個室って言ったじゃないか!そして何で男性禁止なんだ!男性OKだって言ったじゃないか!!」きーーーーー

全く大変である。

何度か聞いたけれど個室は既に満室。男性禁止は旦那さんも知らなかった。旦那さんも男性OKだと思っていたとのこと。全くもってインドである。インドが心底嫌いになった。シスターは相変わらず憎たらしい。点滴のせいで手が2倍にふくれあがり痛かった。それを伝えるも何も言わず何もしてくれなかった。ただギロリと睨まれた。このシスターは妊娠しているようでお腹が大きかった。

この人もお母さんになるんだね・・・

 

わたしは以前肺の手術を2回経験している。その時の経験上4日目からはだいぶ楽になるということ。身体ってちゃんと回復するんだ。そう4日だ。そんなことを考えながら過ごした。

ネガティブなことばりを書いたが、心温まることもあった。

1つは看護学生がとても優しくしてくれたこと。特に1人の彼女はとても優しかった。

起き上がる手助けをしてくれて、ベッドも起こしてくれた。優しく声をかけてくれて、赤ちゃんが泣いていたらあやしてくれた。お礼を言う度ににっこり笑ってやめて〜お礼なんていらないよぁっと笑っていた。

もちろんここでは赤ちゃんがどれだけ泣いていようがシスターが来てくれることはない。ここはただベッドを提供しているだけのようだ。ここにいるシスターも学生の頃はこんなに優しかったのだろうか・・・わたしにはわからない。

そしてもう1つは、周りのアンマ(お母さん)達がとても親切にしてくれたこと。みんなお母さんが付き添って世話をしていた。

わたしが起き上がる手助けをしてくれ、毎日が外食をしているわたしにホームメイドのご飯を分けてくれたり。お手洗いまで連れて行ったくれたり・・・タミルの人は本当に優しい(病院は別!)

わたしはタミル語が話せない。でも話せないのにたくさん話しかけてきて、話を聞いてくれるアンマたち。本当にありがとう。

 

そんな日々の中2、3日と過ぎていった。

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とても優しくしてくれた看護学生のサティヤと4日目の赤ちゃん


インドでの出産 赤ちゃんがやってきた②

 

「Lobar room」にきて何時間も経過しているのにドクターはやってはこなかった。

他の妊婦さんの処置でとても忙しそうだ・・・

3時間程たって1人のドクターが、「これはどうなってるんだ!」と叫ぶ。

そう、わたしのお腹に取り付けた心拍装置。プリントされた紙はびよーんと長く、3時間も経ってるのだから当たり前だっと心で思った。

そう思うのもつかの間、鬼のような女医がやって来て、何も言わずわたしの足を開き、巨大なはさみを思いっきり刺してきた。刺してきたというと語弊があるのだけれど、その時のわたしにはそのくらい衝撃的だった。あぁぁぁインドよ。

わたしはその巨大なハサミを見た途端身体が拒否反応を起こし全身で拒絶。鬼女医が怒鳴る・・・これはまさしく悪夢だった。

あぁぁ、これは悪夢である。

とにかく悪夢はまだまだ続く。ドクターが急に言い放った。「赤ちゃんの心拍が下がっている」「呼吸が上手く出来ていない」と。

わたしは半分朦朧とした意識の中で、本当に何を言っているんだこの人はと言う気持ちになった。3時間も放っておいてやっと来たと思ったらその一言。

そして、ここにサインをしろと。そう、緊急オペである。結局わたしはサインできなかった。わけが分からず手術室に運ばれ、なにやら色々と質問を受けながら麻酔を打たれ寝てしまったのだ。赤ちゃんは大丈夫なのだろうか・・・

朝からの陣痛が始まってから約11時間 そしてまさかの緊急帝王切開

旦那さんの話だと手術室に入ってから20分も経たないうちに赤ちゃんがシスターと一緒に出て来たという。

そう、彼女はこうして産まれたのだ。

ゆっくりゆっくり静かな環境で産んであげられなかったことが本当にごめんねという気持ちでならなかった。わたしが身体を過信せずにもっともっと気をつけていたらと思うと・・・考えても考えてもきりがないけれど申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

でもとにかく本当に無事に産まれてきてくれたことに感謝

 

わたしと彼女との対面は術後3時間後の11:00pm わたしの麻酔が切れてから病室にはきれいに包まれ彼女が本当にスヤスヤと寝ていた。

本当に赤ちゃんがここにいるんだと思うとなんだか不思議だった。何だかまだ実感はない。実は前日に「マタニティフォト」と撮っていた。ずっと撮りたかったのだけれど、なかなか実行できなかった。でも本当に前日に私たちは小さな森に行き自然の中で3人の写真と撮っていた。あぁぁ撮っていてよかったなぁっと心から思った。

病室に戻ると旦那さんとお姉さんとお姉さんの息子と彼の友達2人が待っていてくれた。

彼女と対面しその後はあまり覚えていない。麻酔が切れて痛い痛いと思っていたことだけは確かだ。

翌日からさらに衝撃的な痛みと対面するだなんてこの時点では思ってもみなかったのだけれど。

そしてわたしはいつの間にか眠ってしまっていた。

 

つづく

 

インドで出産 赤ちゃんがやって来た!1⃣

 welcome to this world

 

なんと1ヶ月も早く赤ちゃんがやってきました。小さな女の子です。

今日で15日が経ちます。

小さいけれどミルクをよく飲む元気な女の子♡

 

以前にも書いたように、homebirthの準備を着々とすすめていた私たち・・・

ミッドワイフにも何度か会って、必要なものを買い揃え、バランスボールで予行練習もしてみたり・・・

検診でも異常はなくいたって健康体のはずだったのですが、人生って本当に思うようにならないものですね。

 

過酷な体験がわたしを待っていましたよ

 

何回かに分けてわたしがインドで体験したことをここに残そうと思います。

やっとそんなことが出来るような心と身体になりました。

 

1日の朝から何だか調子がいつもと違う、これは陣痛なのか?定期的に少しずつ痛みがやって来る。破水なのか尿漏れなのか水のようなものも・・・

念のため病院に行く。超音波では何の異常もなく、大丈夫ですよ〜ただ赤ちゃんがまだ小さいので、出来るだけ自宅で安静に!散歩も運動もだめ!なんて言われたのに、その後ドクターが触診した結果、なんど既に子宮が開き始めているとのこと!

むむむ

これはまさしく本陣痛なのか

この時点で赤ちゃんは2100グラムくらいしかない。ドクターには念のため大きな病院に行くようにすすめられた。とにかく一度家に帰って考えよう。

わたしはこの時点ではかなり余裕があったので、あまり深刻には考えていなかった。

しかしミッドワイフに連絡を取ろうにも連絡が取れない。なにせ1ヶ月も早く来てしまったこの事態。90歳になろうというミッドワイフは携帯を持っていないので、孫に連絡を取ることになっていた。

でも連絡が取れない

 さて・・・どうしたものか

しばらくわたしはのんきに「ここで産むんだなぁ」って思ってバランスボースに揺られていたが、何だか状況が変わってきた。

このままミッドワイフと連絡が取れなかったら大変だ。そして小さな赤ちゃんにもしものことがあったら・・・お姉さんやお母さんがやって来て何やらがやがやしている。

結局わたしたちはvelloreにある巨大マンモス病院に行くことになった。

その名もCMC(christian Medical Callage)

以前書いた「評判のよいクリスチャンの病院」だ!!でもわたしはなんだか嫌だなぁって。今まで一度も行ったことのない病院に行くのはとてもストレス。しかも苦手とする大きな大学病院だなんて・・・

でもprivate roomもあるし心配ないよ!大丈夫だよ!と旦那さん。

velloreまでは車で2時間ほどかかる。嫌だけれどつべこべ迷ってはいられない。とにかくその巨大病院へ向った。お姉さんと旦那さんの友達も同行してくれた。本当に南インドの「友情」には感激を通り越して何だか恐縮する。今までもそんな体験をここ南インドで何度もしたが、今回の出産においては想像を遥かに超えていた。

 

車の中でも陣痛は定期的にやって来た。正確には計っていないが、この時点で5分に1度くらいのペース。出来るだけリラックスして深い呼吸を繰り返した。「大丈夫 大丈夫」

マンモス病院に着いた頃には夕方になっていた。かなりの陣痛がやってきていた。

破水もとまらない

しかしここは大きな病院。陣痛の中アドミッションに必要な事項をあれこれ書かされる。本当にしんどい・・・でも看護師さんはいたってマイペース。ここはクリスチャンの病院なので看護師さんはシスターと呼ばれる。やっとの思いで色々書類を書き終え、その名も「Lobar room」とやらに運ばれた。でもそこがまた驚愕!!20人くらいの妊婦さんが陣痛に苦しんでいるのだ。

わたしはここは「一時的に運ばれた場所」だと思っていた。一刻も早くここから移動したい。そればかり考えていた。ドクターが来て、赤ちゃんの心拍を計る装置をお腹に取り付け何も言わずに消えていった。

その間、20人程の妊婦さんのうめき声と叫び声と・・・わたしは耳を塞いで、呼吸に意識を向けて陣痛に耐えた。全くもって心の準備ができていない状態だった。

あれれ・・・こんなはずじゃなかったのになぁっと。お家でゆっくりとまではいかないまでも、旦那さんと一緒に出産に向き合うはずだったのに。

以前にこの病院は男性可と聞いていた。インドの病院のほとんどは男性禁止なのだ。

だが、その偽情報はどこから!!

もちろん男性なんて禁止で、お姉さんが付き添ってくれていた。状況が全くわからないわたしはただ赤ちゃんは大丈夫なのか?なんで旦那さんは来れないのか??本当に全くもってわけがわからない。

妊婦さんもうめき声と共に3時間ほどそのlobar roomで過ごすことになった。

 

 

今思い出してみてもブルブルと身震いがとまらない

なので続きはまた明日

 

 

Amazon India

抱き枕

 
日本にいるときにも欲しかったけれど、こっちに持ってこれないなぁ…って諦めていたもの
 
もちろんここじゃあ素敵なbody pillow なんて見つからないだろうし…
でもお腹がどんどん大きくなるし、足はびっくりするほど浮腫むし、腰は痛くないけれど…やっぱり目指すはbody pillow。
 
ということで、インドでamazonを使ってみた。予想以上に品揃えも豊富で使えることが発覚。
わたしはさっそくbody pillowとついでにバランスボールを注文。
なんだか久しぶり買い物をするこの感じ…。
でもちゃんと届くのかな?大丈夫かな…なんて少し不安になりながら。
でも注文したら直ぐに、承りました!何日に発送です!というメールがきた。
ところが、2週間後に発送って…!むむむ。やっぱりインドだw
仕方ない。2週間は嫌だけれどわたしは抱き枕が欲しいのだ。
 
ところが両方とも3日で届いた♡
2週間だなんてもったいぶっておいて、3日で届けるなんて!!!
amazon india  なかなかやるね。
 
商品も両方とも文句なしに正解。Cの形をした大きなピローは日本では見なかったなぁ・・・でも使ってみたらCの形は変幻自在でUになったりその他になったりとかなり使えるpillow♡
ありがとうAmazon ありがとうテクノロジーという気分になった。
生活はバランスだけれど、必要なものはテクノロジーを使って快適に過ごしたいなってわたしは思う。
でも、インド人の生活を見ていると、本当に何でそんなことに膨大な時間をかけているのだろうとか…思ってヤキモキするし、時々イライラってしてしまう。
余談だけれど、冷蔵庫だって「要らない」って考える人がたくさんいる。本当に必要ないのだ。
先日、旦那さんのお友達家族を家に招待して、日本のチキンカレーを振る舞った。なかなか好評でした!みんなインドのカレーみたいだよ〜と喜んで食べてくれた。
確かにね鶏肉が新鮮なのですよ。その場で・・・。もちろんわたしは買いには行けないので買って来てもらう。
話が逸れましたが、カレーの後によく冷えたスイカを切って出したけれど、彼らはあまり食べなかった…何でだろうと旦那さんに聞くと、「冷た過ぎる」らしい(;_;)
彼らは身体も歯もとても繊細で冷たいものは一切摂らないみたい…本当に彼らは自己防衛力に優れているなぁって思う。何が身体をヒートさせるかもよく知ってる。もちろんクールさせるかもね。妊娠中に食べないほうがよい果物なんかも誰もが知っていて、何度も、パイナップルはだめパパイアはダメと果物屋さんのおじさんにとめられたか!笑
 
わたしも真冬のレストランでも氷が入ったお水が出てくるのは嫌だし、ジュースもいつも氷なしで…とオーダーする。
でもここではつい、ひんやり冷たいものが欲しくなる。冷蔵庫がないだなんて想像しただけで辛い…
 
でもどちらがいいのかは本当のところわからない。わたしたちにとって当たり前のことも、本当はなくてもよいこともたくさんあるのかもしれないしね。
やっぱりバランスかな。
ってわたしはそう片付けることにしている。良いも悪いもないからね。議論にはならないのだ。
"偏りすぎない感覚"は生活の中でもいつも身につけておきたいなって思う。
そして身体の声を聞けるセンサーも磨いておかないとね。
 
わたしはこのC pillow でだいぶ睡眠が楽になりました(*^_^*) 
ふふふ