Mother Nature タミルの風

アルナーチャラの導きによって南インド タミルナードゥ州 ティルバンナマライで結婚、子育て。南インドでのリアルな生活 子育て yogaのこと アーユルヴェーダのこと かわいいもの 美味しいもの などなど。

インドで出産 赤ちゃんがやってきた3

 

翌日は激しい痛みで目が覚める。痛い痛い痛い。そう、わたしはこうような「痛み」にめっぽう弱い。さてわたしの身体はどうなってしまっているのか。

全然誇張ではないのだが、ここのシスター(看護師)さんは鬼のように優しくない。全くホスピタリティのかけらもない。

翌日すぐに尿道カテーテルが外されたので、自力でお手洗いに行かなくてはならなかった。まずはベッドから起き上がらなくてはいけないのだが、なんと、起き上がれないほど痛い・・・なんだこれは。今まで体験したことのないような痛みが下腹部にやってくる。これでベッドから出てお手洗いに行けというのか。冗談でしょ。

でもそんな冗談はあるはずもなく、シスターは「何してるの?早くしなさいよ」と・・・その言い方。鬼だ。もちろん起き上がる手助けなんてしてくれない。

わたしはベッドの角度を変えて欲しいと頼んだ。そうしたら20度くらいでストップ。これ以上はダメだと言い放った。なんでそんな意地悪を言うのだろうとわたしは心底悲しく悔しくなってしまった。

そして彼女は「隣の人はあなたと同じ時間に手術してもう起きあがってトイレに行ったわよ」

わたしは切れた!この一言で何だか怒りがこみ上げてきてしまったのだ。

「隣の彼女のことは知らない。でもみんなそれぞれ身体も違うし状況も違う。なんでそんな言い方ができの?あなたはわたしではないからわたしの今の痛みはわからないでしょう?」

旦那さんのお姉さんが隣にいたし、できればこんな喧嘩みたいなことはしたくなかったのだが、彼女はあまりに残酷だった。

言い方1つなのになぁって。患者さんって身体の痛みだけじゃなくて心がとても不安なんだよ。「大丈夫、深呼吸してゆっくり頑張りましょう」って一言言ってもらうだけでどれだけ心が楽になるか。そして心と身体は繋がっているんだよ。

とにかく悔しいので、お姉さんに助けてもらってどうにか起き上がる。でも呼吸が苦しい。上手く呼吸が出来ない。なんでだろう。どうにかこうにか足を床に付け、立ち上がった途端今度は全身から血の気が引いていった。わたしはもともと結構な貧血なのだ。今にもぶっ倒れそうなのを必死に気力で耐えて、耐えて何とか立ち上がりゆっくりお手洗いに向った。

その時は必死で気が付かなかったが、部屋は6人部屋だった。

プライベートルームはどうなったのだ・・・

そしてトイレがやけに遠かった。地の果てのような遠さだった・・・

まさか自分が帝王切開になるだなんて思ってもみなかったので、帝王切開術後の知識はまったくもってゼロだった。

もう少し情報があったら対処が出来たかもしれないが、とにかくこの痛みには驚き、もしやインドで手術なんてしちゃったからこんなに痛いのかもしれない。これは何か間違えでも起きてしまっているんじゃないか・・・そんなことまで考えていた。

 

「男性可」の情報は嘘でたとえ家族であっても、旦那さんだろうが息子だろうが男は一切入れなかった。夕方4時から5時半までが唯一それが解放される時間だった。

ここCMCはとにかく厳しい刑務所のような病院だった。わたしは入院中刑務所にいるような気分だった。病棟入口には警備員が恐ろしい顔つきで常に立っている。

もちろん面会時間以外は特別な許可書がないと中には入れない。そして患者も外には出られない。100m程の廊下だけが唯一許されたスペースだった。

日本の病院って天国だなぁ。身体が許せば自由に外にでて、中庭かなにかでお茶を飲むことだってできる。信じられない世界だ。日本って素晴らしい。インドの病院って地獄だって心底思っいた。

多分もっとこじんまりした病院だったらこんなことはないのかもしれない。

そして何より「食事が出ない」のだ!!!こんなことってあるの?お水の1杯さえもらえないのだ!!!

じゃあご飯はどうするのかというと、家族が毎回3食持って来る・・・こんなことってあるのだろうか。あるのです。

病院(CMC)から家までは車で2時間。旦那さんは病院の近くに宿を取ってそこに寝泊まりして朝、昼、夜を3食 そしてフルーツやお水、わたしが食べたいものをせっせと運んでくれた。でもやっぱり毎回毎回買って来たご飯はけっこう辛かった。食欲も出なかった・・・

ご飯を運んで来るその時間はカードを見せると中に入れてもらえるらしい。でも見回りがすぐにやってきて追い出される。こんなことの繰り返しだった。

赤ちゃんの世話とわたしの世話はお姉さんが寝泊まりしてしてくれた 。本当に感謝だった。家族がいない人はどうなるのだろう・・・

お姉さんには本当に感謝だったが、旦那さんがいないことや鬼シスター(看護師)そしてこの環境にわたしのストレスはマックス。

そして「何で個室じゃないんだ!個室って言ったじゃないか!そして何で男性禁止なんだ!男性OKだって言ったじゃないか!!」きーーーーー

全く大変である。

何度か聞いたけれど個室は既に満室。男性禁止は旦那さんも知らなかった。旦那さんも男性OKだと思っていたとのこと。全くもってインドである。インドが心底嫌いになった。シスターは相変わらず憎たらしい。点滴のせいで手が2倍にふくれあがり痛かった。それを伝えるも何も言わず何もしてくれなかった。ただギロリと睨まれた。このシスターは妊娠しているようでお腹が大きかった。

この人もお母さんになるんだね・・・

 

わたしは以前肺の手術を2回経験している。その時の経験上4日目からはだいぶ楽になるということ。身体ってちゃんと回復するんだ。そう4日だ。そんなことを考えながら過ごした。

ネガティブなことばりを書いたが、心温まることもあった。

1つは看護学生がとても優しくしてくれたこと。特に1人の彼女はとても優しかった。

起き上がる手助けをしてくれて、ベッドも起こしてくれた。優しく声をかけてくれて、赤ちゃんが泣いていたらあやしてくれた。お礼を言う度ににっこり笑ってやめて〜お礼なんていらないよぁっと笑っていた。

もちろんここでは赤ちゃんがどれだけ泣いていようがシスターが来てくれることはない。ここはただベッドを提供しているだけのようだ。ここにいるシスターも学生の頃はこんなに優しかったのだろうか・・・わたしにはわからない。

そしてもう1つは、周りのアンマ(お母さん)達がとても親切にしてくれたこと。みんなお母さんが付き添って世話をしていた。

わたしが起き上がる手助けをしてくれ、毎日が外食をしているわたしにホームメイドのご飯を分けてくれたり。お手洗いまで連れて行ったくれたり・・・タミルの人は本当に優しい(病院は別!)

わたしはタミル語が話せない。でも話せないのにたくさん話しかけてきて、話を聞いてくれるアンマたち。本当にありがとう。

 

そんな日々の中2、3日と過ぎていった。

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とても優しくしてくれた看護学生のサティヤと4日目の赤ちゃん