Mother Nature タミルの風

アルナーチャラの導きによって南インド タミルナードゥ州 ティルバンナマライで結婚、子育て。南インドでのリアルな生活 子育て yogaのこと アーユルヴェーダのこと かわいいもの 美味しいもの などなど。

インドで出産 赤ちゃんがやってきた4

 

4日目となった。わたしの経験通り4日からほんの少しだけ楽になった。

腰を曲げながら1人でお手洗いにも行けるようになったし、シャワールームで身体を拭くこともできるようになった。でもまだまだ痛かった。

看護学生は親切でアンマたちも優しい。でもわたしのここでのストレスは変わらなかった。ナースステーションでは夜中12時ころまで大声で話し声が聞こえて眠れなかったし、何時になっても電気は消えることはなく蛍光灯がこうこうとしていた。

赤ちゃんも本当にストレスだっただろうと思う。薄暗い温かいお腹の中から急にこんなに明るくてうるさい環境に耐えなければならないなんて・・・

本当に可哀想だった。

 

それに加え、母乳問題が発生した。

母乳が出ない・・・母乳って出ないんだ。これにも本当に困ってしまった。

ここCMCは「6ヶ月間は必ず母乳で」という方針の為ミルクはもらえなかった。でも出ないのはどうしたらいいのだろうか。シスターに言うも、口を揃えて「良く食べること!よく水分を摂ること!食べて飲めばミルクは必ずでるわよ」

そんな単純なものなのだろうか・・・

そもそもじゃあ栄養を考えた食事提供してよっと心底思った。何がよく食べることだよ・・・水1杯もくれないくせに。

赤ちゃんが泣く度にお姉さんが「お腹空いたね〜お腹空いたね〜」っとタミル語で言っていた。これもとてもプレッシャーになった。

 

4日目ともなると少しずつここも鬼シスターだけではないということがわかってきた。

優しいシスターも存在したのだ!夜中に泣き止まない赤ちゃんを連れて、どう頑張ってもミルクが出ない。助けて〜とナースステーションに行った。シスターはミルクはドクターの許可がないと出せないと言った。でもやつれるわたしを見かねて、赤ちゃんにミルクをくれた。「ドクターには絶対に内緒だよ」と・・・赤ちゃんは30mlのミルクをグビグビと飲みすぐに寝てしまった。

あぁぁやっぱりお腹が空いていたんだね。ごめんね・・・

翌日ドクターの許可で1日3回ミルク配布があった。あ〜〜本当によかった。小さく産まれたのに体重が産まれた日よりさらに減ってしまっていたから。

わたしは1日も早く家に帰りたかった。そう1日も早く!もうここにいたくはないよ。静かなお家に早く帰りたい。旦那さんもお姉さんもほとほと疲れているようだった。

お家に帰ればお母さんがホームメイドのご飯を作ってくれる。好きなだけフルーツを食べココナッツウォーターを飲み、牛乳だって飲める。当たり前のことなのに・・・

わたしは何だか涙が出てしまった。色々な感情が入り交じって、悲しくて寂しくて。

隣の彼女はアンマ(お母さん)に髪をとかしてもらい結ってもらっていた。そんな姿を見るだけで涙がでた。わたしの母は4年前に亡くなってしまった。お母さんに会いたいよぁっと心底思った。以前入院した時は身体を拭いてもらい、髪を結ってもらい、着替えを手伝ってもらって・・・そんな母はもういないんだ。

そして今わたしが母になったんだ。

そうこんな風に色んな感情が次々にやって来て処理するのが大変だった。

 

5日目に退院したいと言ってみた。明日なら大丈夫よっとドクター

まだまだ痛みがあって普通に生活できるのか不安だったが、ここにいるよりはメンタル的に断然よいだろうと思ったし、もう旦那さんもお姉さんも解放したかった。みんなが疲れていた。抜糸は2日後に来て下さいと言われた。

6日目 朝から帰る支度をして手続きをしてタクシーを呼んでその時を待った。

そしてやっと解放の日、病棟入り口のチェックマンともお別れ。鬼シスターや優しいアンマたちともお別れ。最後には喧嘩をした鬼シスターとも少し仲良くなっていた。

相変わらずきついが少し慣れた。最後に彼女は「3年後にまたここで待ってるからね」って言った。そうインドでは次の赤ちゃんを作るまで3年待ってから!というのがあるらしい・・・冗談でしょ!もう2度と来ないわ!!って笑って答えた。

そう言えばドクターにもファミリープランについて聞かれた。そして手術をする際には是非ここCMCで!と。わたしは2人目は考えていないし、避妊しますので大丈夫ですと答えたが、インドでは避妊はポピュラーではないらしい。

そして手術とはもう赤ちゃんができないようにする手術。1970年代頃から「子どもは2人!」というファミリープランが大々的に掲げられ、国を揚げて女性に手術を勧めた。もちろん手術費用は無料でそれに加え手術を受けると色々な「特典」がついて来たらしい。現在どうなっているのかはわたしには分からない。

 

6日ぶりに外に出た。

velloreは南インドでも最も熱い地域らしい。そしてマンモス病院は街の中心にあった。

インドの熱気と人ごみと喧騒と・・・なんだか騒がしい街だなぁっと思った。それでも外の空気はやっぱり気持ちがよかった。6日前に車いすでここの「Lobar room」とかかれたエレベーターが来るのを待ったなぁっと思い出すだけで身の毛がよじる思いだった。恐ろしい。でももう過去のことだ。そう言えばこの入院でわたしの履いて来たサンダルが紛失した(サンダルと言ってもただのビーチサンダルだったが)けっこうお気に入りだったのに。でもタミル地域では、チャップル(サンダル)がなくなることは過去の嫌な出来事を一緒に連れ去ってくれるという言い伝えがあるらしい。それを聞いて、チャップルはなくなってしまったけれど、この苦い出来事も一緒になくなったんだなぁっと思った。そしてこれから赤ちゃんとの新しい生活が待っているのだ。

 

さあティルバンナマライに帰ろう。

 

shanti OM